嘉義農林高校の決勝戦進出を、当時の記者(菊池寛)が讃えています。

Timeline Photos

see Facebook

嘉義農林高校の決勝戦進出を、当時の記者(菊池寛)が讃えています。
「内地人、本島人,高砂族という変わった人種が同じ目的のため共同し努力をしているという事が何となく涙ぐましい感じを起こさせる」

嘉義農林は当時から日本人を感動させていたんだね^^

台湾映画「KANO」は絶対見に行かなきゃ^^

===
涙ぐましい・・・
三民族の協調
 甲子園印象記 菊池寛

僕はラジオを通じて甲子園の野球は放送される限り聴いている。しかしラジオで聴く野球は気楽だが実際に見る野球は刺激多く気苦労である。
ラジオではユニホームの汚れや選手の額を流れ落ちる汗などは目につかないが、現実に見る甲子園は選手の悪戦苦闘が同情されて凡失でも決して咎められない気持ちが先に立つ。
僕は嘉義農林が神奈川商工と戦ったときから嘉義びいきになった。内地人、本島人,高砂族という変わった人種が同じ目的のため共同し努力をしているという事が何となく涙ぐましい感じを起こさせる。
実際甲子園に来てみるとファンの大部分は嘉義びいきだ。
優勝旗が中京に授与されたときと同じぐらいの拍手が、嘉義に賞品が授与されるときに起こったのでも分かる。
ラジオで聴いているとどんな獰猛な連中かと思うと決してそうでない。皆好個の青年である。そして始めて内地に来て戦っているせいか何となく遠慮深いところがあるようだった。
だがこの炎天に連日戦う事などは非常な労苦で中京が強敵を毎回引き受けて優勝したなどは十二分以上代償を払っている。
連日の成績から見ると甲子園の優勝旗なるものはくじ運もあるが、しかし実力を具備したナインが粒々辛苦の末ようやく受け取る物だという事がしみじみ分かった。
甲子園のファンはラジオで聴いて想像したよりは遙かに上品である。
しかしあまりに大ファンであるために個人的の下品なヤジなどは全場の注意を引かないのである。
ただ女性のファンは東京に比べて遙かに少ない。比較にならないくらい少ないのは関西女性にスポーツ趣味が普及していないためだろう。

(昭和6年(1931)8月22日 東京朝日新聞夕刊)
一部現代語訳:日台若手交流会